矮小な自己顕示欲と肥大する承認欲求

シロツメクサ

[あけましておめでとうございます]
ご存知の方も多いと思いますが僕はたかだか20年程度洋服を好きで居続けたにすぎないただの36歳です。
服飾の専門学校を出たわけでもないし大学で芸術を専攻したわけでもない。
アパレルを生業にしているわけでもなければそれに関わったこともない。
これを読んでくれている大多数の方々と同じ一般消費者であり、そして考えれば考えるほど僕はなにものでもありません。

そのなにものですらない僕ですが厚かましくも5年もの間「ファッション」というくくりでブログを書き続けてきました。
もともと世界中のランウェイや各ブランドの新作を逐一チェックするタイプの服好きではないため、いわゆるトレンドをお伝えするのが得意ではありませんし、また徐々に好みが収束してきているため提供できる情報としてもごく限られたものになっています。

それでもブログを続けているのはなぜなのか年初にあたり自分に問いかけています。
大したアクセス数があるわけでもない、管理者のパーソナリティに魅力があるわけでもない(そもそも読者の方々がそれを判断できるほどのさしたる情報開示もない)、弱小ブログがそんなことを熟考したところでまるで意味がないこともわかりつつそれでも考えています。


[答えは自分の中にあった]
一番初めのエントリは2011年1月25日です。
始めた頃はオールデンやホワイツの個人輸入の記事を書いています。
意図としてはオールデンの個人輸入の情報はそれほど多くなくて、自分がやったことが参考になるなと思うのと「オールデン」は検索ワードとしては鉄板だと思ったから。
今でもaldenをkey wordにして当ブログに辿りつく方はけっこうおられます。

当時の記事「オールデン個人輸入の一部始終」:http://qwerty1234567890.blog116.fc2.com/blog-entry-6.html

ホワイツは検索ワードとしての力はそれほど強くないけど、やっぱり情報を欲しがっている人がそれなりにいるだろうと思ったからです。

そして買ったものや持っているものを記事にしていきます。
普通です。

文章を書いているうちにすこしずつ自分の考えみたいなものを吐露したくなってきたのでしょう。

2011年4月19日に「現代におけるblogとは」という短い文章http://qwerty1234567890.blog116.fc2.com/blog-entry-32.htmlを書いています。

ここに書いてある思い・考えは4年たった今でもほとんど変わっていません。

ファッションブログなんて、肥大した矮小な自己顕示欲と認証欲求の塊みたいな勘違いしたナルシスト野郎の自慰行為に過ぎない

全くその通り。
過去の俺鋭い。

ブログを続ける意味をdigするために自分のエントリを頭から追ってみたらすぐに答えに行き着いてしまった。


[自己顕示欲と承認欲求]
どれだけ言い繕ってもかっこつけても僕がブログを続けている理由はこれに尽きるんだと思う。

「おしゃれ」だと言って欲しいんじゃない。
「センスがいい」だと言って欲しいじゃない。

そんなのは全部手段でしかない。

(わざわざ題材として選んだわりには稚拙だが)ファッションを切り口にして叫んでいるに過ぎない。

僕を見て。
俺の方を向いて。
私を私だと認めて。

ことあるごとに「ねえママ見て」を繰り返すこどもと俺は寸分も違わない。
ブログに対する情熱に迷いが生じていた昨今、その情けない欲求を認めることで僕は少しだけ前に進めるような気がする。

気がするから問う。

この欲求が孕む幼児性を単なる幼児性と片付けていいのか?
この欲求に包含される情けなさを単純に情けないと断じていいのか?

性別、年齢、背景、環境、信ずるもの、それら全ての属性に関係なく、すべからく人に備わっている欲求。
これが満たされなければひとはひととして生きにくいのだという厳然たる事実を、OK、素直に認めよう。

Facebook、twitter、instagram。
SNS全盛のこの時代は承認欲求の時代だ。

誰もが多かれ少なかれメッセージを発しているのだ。
「わたしをみて」

それを素直に言えないから。
それを大声で叫べないから。

僕たちはニーチェを引用したり、2次創作をしたり、美味しそうな料理の写真を撮ったり、買った洋服を紹介したり、そしてそれらをシェアしたりするんだよね。

ナルシスト野郎の自慰行為でさえ、ときには誰かの琴線に触れるかもしれない。
そんなか細い糸のように脆弱な希望を僕は手繰っている。

けれどきっと僕もみんなも気付いている。
他人から承認されることで得た満足感はいつかどこかで何かに転換しなければいけないということを。
その何かは何かを生みだすためのエネルギーであったり、労働意欲であったり、家庭をうまく回すための活力であったり、新しい誰かとの出会いであったりするだろう。

そうでなければその無方向性の巨大な陽力は行き場をなくし肥大し目的化してしまう。
いいねやふぁぼをもらうことが人生の目標になってしまう。

inputにはoutputを。
入り口には出口を。

流れの滞った川はいつか淀み、細菌が繁殖し、腐敗してしまうという自然現象から僕らは学ばなければいけない。
流れには流れ着く適切な場所を作らなければいけないということを。

SNSに自らの人生をhackされないために。


[2016年の目標]
この大前提を恥じることなく隠すことなくだがしかしある程度の礼節を持ってブログを運営していこうと思います。

過度に誰かに阿ることのないように、でも賞賛すべき人物や言説には心からの拍手を。

承認を要求する前に、積極的な承認を。
あなたが深淵を覗くとき、深淵もまたあなたを覗いているのだから。

きっとその双方向的な承認から生まれる幸福がどこかに出口を見つけるとき、真に幸せの扉が開くのでしょう。
その流れが生まれそして注がれる海のような場所をブログを通じて見つけることが出来ればいいなと思います。


[おまけ]
以上の思考過程から自分の生活でなんとなくわかったような気がすることがあります。

子を産み育てるという太古より脈々と続く動物の営為は種の保存という本能的役割とともに、親が無条件の承認を獲得するという役割もあるのかもしれないということ。
子は親に「甘える」「頼りにする」という行為を通じて親に「あなたは僕が全幅の信頼を置くひとですよ。あなたがいないと生きていけないんですよ」というメッセージを発しているんじゃないかな。
それを親は意識的にせよ無意識的にせよ受け取って承認欲求を満たしている。
「ああこの子がわたしを必要としている。わたしはわたしとして存在している意味がちゃんとある」って。

こうやって文章を書くことは思考の整理と自浄作用もあるんですよね。
だから細々とでもやめずに続けようと思います。
読んでいただけるみなさまの少しでも役に立つようなブログとなれるように。

2016年もどうぞよろしくお願い致します。
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[ 2016/01/03 13:47 ] 雑記 | TB(0) | CM(2)

tkjさんのブログはWeb上の貴重な資産だと思いますよ。
SNSの普及によってインスタントな情報ばかりが持て囃される今日ですが、いずれまた
ブログの持つ情報量が見直される日が来るんじゃないかという気がしています。
今年も更新楽しみにしています。
[ 2016/01/07 10:49 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

to-fuさんいつもありがとうございます(To T)

資産だなんてそんな大層なもんじゃないですが何かの役に立っていると信じてやっていきます!

僕もこんな長い読み物は敬遠されるのかなと思いつつ、自分としては長いものも好きなのでblogは媒体として捨てがたいです。

あとはただそこにある感じが好きです。
誰かのフィードやTLに放り込まれないところが。

to-fuさんのブログも楽しみに見てますからねー!!

今年もよろしくお願いします!
[ 2016/01/08 02:19 ] [ 編集 ]

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