スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

今改めて、Smoothdayを思う



大変押し付けがましいのですがこのエントリはこの曲を聴きながらお読みください

[Smoothdayの服とは何か?]
風は目に見えない。

それでもわたしたちは風がそこに在ることを知っている。
風が吹いているのを知っている

髪が靡く。
身に纏った衣服が戦ぐ。
撫ぜられる肌、去りゆく気化熱。

大気のかたまりがわたしたちのからだにぶつかることで起きる現象から風を知る。

感じることができなくても、わたしたちは風を視ることができる。
風そのものは見えない。
しかし風によって動きが生じる対象物が存在すれば、それを見ることは間接的にではあるにせよ風を見ていることと同義となる。


翻って、Smoothday。

もちろん風とは違い、その服には実体がある。
それでも、そこにただあるだけでは本質には到底たどり着けない。

目を凝らす。
そこには、奥行きがある。
奥行きとはすなわち、三次元的な知覚だ。
重力と陰影が布に表情を与え、視覚的な贅を付与する。

着てみる。
その布はからだの表面をやさしく包みはするが、何も着ていない感覚では決してない。
そこには皮膚を刺激する布が確かにあり、わたしたちを慈しむ。

動いてみる。
その服はわたしたちの動きに追従してしなやかに波うつ。
まるで風が青い穂先を揺らすように。
美しい陰影をともないながら柔らかなひだが生まれては消え、ユークリッドの世界を飛躍する。

smoothday over tees


Smoothdayの服はあるいは風であると僕は思う。
関連記事
[ 2015/09/01 00:00 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://qwerty1234567890.blog116.fc2.com/tb.php/659-a70742a6







上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。