イッタラのシールとマルジェラの4つ糸、そしてユニクロ

イッタラのシール
顕在意識と無意識

[ブランドに向けられた自意識]
先日、家で使っているイッタラのタンブラーのシールは剥がすものなのか剥がさないものなのかで、嫁さんとちょっとだけ盛り上がりました。

うちにはイッタラのタンブラーが複数存在しておりまして、シールが貼られたままのものが大半、そしていくつかは剥がれています。

僕としては、
「わざわざ剥がさない。使っているうちに剥がれたら剥がれたまま(当たり前か)」
というスタンスでやっとります。

イッタラを使い始めた頃、剥がすということをそもそも考えたことがなくて、でも使っているうちに端っこが剥がれてきて、使う際に指に当たって気持ち悪いから剥がそうとしたら意外にしっかりした粘着力でなかなかきれいに剥がれてくれなかったという経験をして、ますます剥がすなんてことを考えなくなっていたのでした。

なのでうちのイッタラのコップでシールが貼られていないものは自然に剥がれちゃったものです。

しかし、今回ちょっと気になってネットで検索してみると、外す派がたくさんいるらしいことがわかりました。

外す派の根拠は大体次の2つに集約されるようです。

・わざわざブランドロゴがあるシールを貼ったままにしてアピールするのはみっともない
・不衛生

その他にも自分として思いつくとすれば、

・あのデザインがそもそもかっこよくないから剥がしてしまうべき
・ガラスという素材にシールという、もうそれ自体がミスマッチ

などでしょうか。

不衛生、ということに関してはそれはちょっと神経質に過ぎないかと個人的には思います。
そもそも自然界なんてバクテリア天国ですから、コップには常に無数の菌が存在しています。
そのシールのところに細菌が定着・増殖して何らかの健康被害を引き起こす確率はそう高くはないのでは、と思うのです(ほとんどの場合毎日洗浄がなされますし)。

なので個人的にはこれをデザインとブランド誇示の2点で考えるべき問題として扱います。

デザインはもうこれは好みがありますから、嫌いなら剥がすしかないでしょう。

デザインに異論がなければあとは「イッタラのコップを私は使っているのだあああ!」というイデオロギーを世界に向けて(大げさだなあ)アピールすることを是とするか否かです。


[何かに似ている]
以前からこのブログを見てくださっている方であれば、僕が目指すスタイリングのひとつとして「匿名性」を挙げていたことを覚えてらっしゃるかもしれません。

そんな中二病的な発言までしている自分が、きれいに剥がれない経験があったからとはいえ、ブランド名を清々しいまでに誇示しているイッタラのシールをなぜそのままにしているのか、それを考えてみようと思ったのが、このエントリを書き始めたきっかけです。


「匿名性」。


最近、かつてのこの言葉の自己矛盾にようやく気付きつつあります。

「アノニマスな」スタイリングを謳っておきながら、着ているもののブランドクレジットはしっかり入れる。
(人のスタイリングを見るときにどこのものを着てるのか分かった方が楽しいという理由はありますが)
ロゴものは極力避けておきながら、例えばguidiのバックジップのような明らかに特異性のあるディティールのものを身につける。

結局は顕示性の強度の問題だったんですね。
ロゴもののような高い強度のものは避ける。
バックジップはわかるひとにしかわからない(つまりアピール力としては強くない)し、かつ共通の言語を持った人には暗号のように働く(同じ嗜好を持った人だと、「あ、guidiの靴履いてる!」って気付いてもらえる)から可。

そう、この「わかるひとにしかわからない(と独りよがりに考えている)」デザインを「無名性」「匿名性」とすり替えて、悦に入ってただけなのだ、と。

そして匿名性はいまや「匿名性」というパッケージなのだとtwitterでDJ_AsadaAkiraさんからご指摘を頂きました。
もはやアイヴィー、モード、アメカジ、今ならシティボーイといった「~系」とフレーミングされるひとつの定型なのだと。

たしかにそうかもしれません。
無名的・匿名的なスタイリング、と聞いてそれに使えるようなブランドがいくつか思い当ります。
それはやはり定型化していることの表れでしょう。


イッタラのシールはこの匿名性や無名性といったものに関する話題なのだと思いました。
自分が身に着けているものを世界にどう開示していくのか、もしくはそれを以って世界からどう受容されたいか。
その姿勢を問う問題です。

ここまで書いてこの問題が何かに似ていることに思い当たります。

マルジェラの4つ糸です。


[Anonimity]
他言語で厳密に区別されているかどうかはわかりませんが、匿名性と無名性は若干ニュアンスが違う感じがします。

DSC09254.jpg

「匿名性」という言葉の中には匿うという字が入っています。
「匿う」を辞書で引いてみると「人目につかないようにこっそり隠すこと」とあります。

対して無名性はやはり文字通り人に知られていない状態であること。
有名の対義ですね。

さてここでマルジェラの4つ糸。
今はマルジェラの4つ糸を取ってしまう人も多いみたいです。

僕は外しません。
ガリア―ノのマルジェラを見た後にもtweetしましたが、4つ糸こそがマルジェラだと本気で思っているからです。

外す派の方々にもいろいろと主張はあるんでしょうけど、根底には「マルジェラだとアピールするのが恥ずかしい」という思いがある気がします。


この「恥ずかしい」という気持ちはどこから来るのか?

おそらくは「マルジェラを着ていること」が恥ずかしいのではないと思います。
服に気を遣う人ほど自分は他人と違う振る舞いをしている状態に身を置きたい。
「みんながいいと言う」マルジェラ、手垢にまみれたマルジェラを着ていることをファッション界に提示していることに耐えられない。
マルジェラを着ている自分を匿いたい気持ち。
「本質としていいものである」こととは別のベクトルがここには存在しています。

ごく初期のマルジェラの4つ糸をはじめから外していたひとは果たしているのでしょうか?
マルジェラがまだ知る人ぞ知る存在だった時にはその4つ糸はおそらく外されることなく製品の上で光り輝いていたのではないかと僕は想像します。
まだマルジェラに無名性が帯同していたからです。

有名性が獲得されるにつれて(無名性が失われるにつれて)、それを着ていることが白日の下に晒されることに耐えられないという思いが生じます。
自分がマジョリティであることへの拒否感です。

もちろんマルジェラのパターン・デザインには優れたものがたくさんあって、それだけで十分マルジェラであることが外から見てわかるから、4つ糸と合わせて相加相乗的にアピールすることが上品ではないという考え方もわかるような気がします。

しかし4つ糸を弄ることはむしろ逆説的にマルジェラであるということを過剰に意識しているという理論も成立するかもしれません。

でも当の昔にマルジェラはマルジェラから失われています。
ガリア―ノがデザイナーに就任した今、4つ糸こそがマルジェラではないかと改めて思うわけです。

マルジェラの4つ糸とどう対峙するかに個々人の顕示性や匿名性への思いがほの見えるような気がしています。
ファッションにおける匿名性がいったい何を匿っているか。
僕には「自意識を他人の目から匿っている」ように思えてなりません。

自分がそうだから。


[果たして匿名性は獲得できるのか]
匿名性を十分に兼ね備えた服、なんてはたしてあるのでしょうか?

徹底的に無個性なマスプロダクトの服でしかそれは成立しないような気がします。

現代でいえばユニクロでしょうか。

ただユニクロはすでに全世界で展開されている超メジャー服なので全身ユニクロにすると匿名性も無名性もあったもんじゃありません。

同列に語られがちな無印良品やその他のファスト系はどうでしょうか?
個人的にはユニクロとこれらは同じ位相にはいないような気がしています。
ユニクロからはファッションの大命題であるはずの自意識(デザイン)が超意識的に抹殺されているように思うからです(数々のコラボものはまたちょっと別口になりますが)。
無印その他にはこの自意識は当然十分にあります。
というか、この自意識そのものがそれぞれのブランドの特徴になっているのがアパレルです。

ちょっと話は逸れますが、これがユニクロのモードに対する攻撃性だと僕は思っています。

ファッション上位者にとってのユニクロの在り方、使い方は、

1. メゾンブランドもユニクロもフラットにその価値を判断できる
2. ガチ服に傾倒するという行為・状態の一段階上に自分は到達している

という姿勢を開示する、というあたりにあるのではないかと思います。
この考え方はtwitter上のDMで交わしたVeroneさんのご意見が非常に参考になりました。

閑話休題。
そうなると匿名的・無名的ファッションを成立させうるのはレギュラー古着くらいしか思い浮かびません。

エディ・スリマンが今は閉店してしまったgo-getterでレギュラー古着を買っていたというエピソードや、マルジェラが古着を用いてアーティザナルを成立させていたのも今回の話題と相関が少しはあるかもしれません。


[着ているものだけでわかることがたくさんある・・・だけどそれが何だっていうんだ]
おそらく、既製品を着る限りもう本当に無名な服やスタイリングなんてない。
洋服を着ることが社会的行為だというのはもう擦り切れるくらい使われている表現で「何を着ているか」はすなわちそのままある種のイデオロギーの表明とイコールです。

でもそれがいったい何だっていうんだろう?

ひとが何を着ていようと、それが明らかにTPOにそぐわないものでない限り、服装で人を判断しないくらいに大人になりましたし、そもそも他人が何を着ているのかなんて真剣に見ている人はほとんどいないことにも気付きました。

なので、イッタラのシールはそのままにするし、マルジェラの4つ糸も外しません。
けれど分かりやすいロゴもの(PLAYとか)を着ることはおそらく今後もないでしょうし、なるべくシンプルでクリーンな服を好むでしょう。

そこには各人が設けた基準があり、考えがあり、その結果の取捨選択があるだけなのです。

というわけで、つまりこのエントリは何も言ってないに等しい中身の薄いものだと書き上がるまでわからなかったよ(泣)。
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[ 2015/03/21 00:00 ] 雑記 | TB(0) | CM(2)

うーん…!

こんにちは!

うーん…この記事は難しいです。このエントリがあってから毎日このことについて考えています。
というのも、つい最近、イッタラのコップやら皿やらマグやらを買ってきて、

「お、イッタラのマークってシールだったんだ、ふーん(むきむき)」

って剥がれるから剥がすスタイルで剥がしてたんです。皿、マグ、最後にグラスに貼ってあるシールに爪を立てたその瞬間

シールと一体化したデザイン、なのではないか!?と思ったような思わなかったようなで、剥がさなかったんです。

そしてグイディのバックジップについてはグイディ自体よくわからない興味対象ではなかった(イッタラも)のでグイディのブーツといったらバックジップ、ということも知らなかった

マルジェラについてはヨツイトなんて知らなかった。

…?

だって誰も教えてくれないし(孤高の人)

でも今、ジーンズ買ってきて赤タブついてるべき場所にあるブランドアイコンの刺繍を解いたんですよ。そのブランドの主張たるそれを。

タグやデザインの一部を除去したり、カスタムして加えたりするのってなんだかなあ、と思う反面、自分でもやっているという意味わからんから説明してねラッスンゴレライラッスンゴレライ

取り乱しました。

「デザインの冒涜」なんだと思って。それでもごめんねっていいながら変えていくのは結局自分のスタイルになじませるためなんだって納得しました。勝手に。

機能や外観を壊さなければ、タグを切ろうがシール剥がそうが、誰かが傷つくことはないんじゃないだろうか。いや、やっぱり作り手は傷つくのかなあ…

あ、ダメだ結局煮え切りませんね。飲みに行きましょう!
[ 2015/03/27 15:58 ] [ 編集 ]

Re: うーん…!

なべさん

いつもありがとうございます!
いや、結局ひとそれぞれでいいんだと思います。
というかそれしか正解はないですよ!

ほんと今度是非飲みにいきましょう!!
一晩じゃ足りないですね、絶対・・・・。
[ 2015/03/28 22:13 ] [ 編集 ]

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