脆弱な幻想 -guidiの靴に寄せて

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guidi / 698

[脆弱な幻想を]
Edward Greenも好きだし、Aldenも好きだ。
Red WingやWhite'sのようなワークブーツももちろん。

でも彼らが決して埋められない場所があって、それを埋めてくれる靴がGuidiなんじゃないかと思う。

35になろうとしている僕がCarol Christian PoellやGuidiなどのあまり社会性に富んでいるとは言えないプロダクトに今も好意を寄せているのには、自分の凡庸さに理由がある。

中年に確実に足を踏み入れているにも関わらず、10代の少年たちが持つような「かっこよくなりたい」という欲求がいまだ自分の中には燻っているのを感じる。
それはアイデンティティと同義ではないし、10代の彼らのそれと全く同じものではないとは思う。
一義的にはただただ自分で自分に満足できる状態になりたいという欲求。

社会的、経済的な面で言えば、現時点の自己評価としてはまあ及第点と言えるところにいる。
これについてはわりと人生の早い段階から努力というものに価値を見いだせたことが大きいと思うし、その努力を形にするだけの能力が自分の中にある程度あったことは非常に幸運なことだった。

これには運としか言えない部分がある。

努力は裏切らないとか夢は必ず叶うとかそんなのはきれいごとで、努力至上主義はむしろ危険な側面を持った思想ですらあると個人的には思っている。

成功の基準はひとそれぞれだけど、それは極めて多数の要素が複雑に絡み合って成立しえるもので、自分の力だけではなんともならないエレメントも含まれてくる。

環境、友人、先達、時流、情勢。

だから、いま自分がある程度満ち足りた生活が出来ている幸運には常に感謝している。
自分は運が良かったのだ、と。


それを踏まえた上でのごく個人的な意見になるが、自分は「学校教育」というものがまだそれなりに結果に結びついた世代に属したのかなという気がしている。

僕個人についていうなら、そのシステムは確実に有効に機能した。

既定のレール(義務教育+高等教育)に乗って勉強したおかげで、大学にも入れ、就職もでき、労働の対価に賃金を手にすることが出来ている。

既定路線に身を委ねることについては当時から「そんなのにいちいち逆らったり疑問を持ったりせずにそのレールで全速力で走るべきだ」という優等生的思考と、例えば外国へ飛び出す・手に職をつけるといったような「マイノリティ的独自路線を走ることへの憧れ」の二律背反でジレンマを感じていた。

しかしそもそも平凡な自分には後者を選ぶだけの勇気もなく、表面的には黙々と受験勉強を積み重ねた。

もちろん学校で教わる以外の本もたくさん読んだつもりだが、それでも大多数の人が選ばないような人生の道を選ぶ勇気はついに出なかったし、それはおそらく今も大きく変わっていない。


そこで冒頭のguidiに話は繋がる。

洋服に関心を持ち続けることはきっと、自分が身を投じることが出来なかったマイノリティに属することへの青臭い代替行為なのだ。

もともとがマイノリティ的オリジナルな個性を発揮するより既定路線をうまく走る方が圧倒的に得意な人間だから、トラッドやアメカジも好きだ。
それらはファッションにおける「定型」を多分に含む既定路線だからだ。

しかしそれとは別に、そしてそれよりも強い絶対値を以てguidiの靴などに強く惹かれる自分がいる。
そこに非社会性とも言うべき既定路線でない強いマイノリティを想う。

たぶん多くの人は自分の年齢や自分が属する世界に関する社会通念などと折り合い、こういった大人げない服を視野から外していく。
自分もそういったスタイルのみに没入できる訳じゃない。

どこかで確実にリミットをかけている。

自分という人間はそこで常にせめぎあっているのだと思う。

凡庸である自分を認めつつ呪う。

呪いつつも、凡庸であることがすなわち負けだとは思わない。

非凡であることが許されるのはほんの一部の人間だけなのだということが、大人になった(平凡な)僕には痛いほどわかる。

僕はそのほんの一部の中に入れなかっただけだ。

他の多くのひとと同じように。


guidiの靴はそれを少しだけ、ほんの少しだけ忘れさせてくれるような幻想を僕にもたらす。

それを選ぶことがマイノリティへの参加と同義であるという情けない幻想を。

どこまでも凡庸で弱々しい僕は今日もguidiの靴に足を入れる。

その脆弱な幻想に心身を委ねるために。


[2足目のGuidi]
1足目のguidiが非常に良かったため、前から欲しいと思っていたベージュ系スエードブーツ枠をguidiで押さえてみました。
これも昨年末あたりの購入です。

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品番:698
サイズ:43
素材:calf reverse
色:801T

グレーとベージュを混ぜたような色です。

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Guidiといえばバックジップの方が人気があるんだと思うんですが、どうもあの月型芯を割って作ってる感じが恐ろしくて(何が恐ろしいかよくわかんないけど)、サイドジップを選びました。

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この粗野な感じは独特ですね。

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ベージュセッターの洗礼を受けてる世代だからか、ベージュ系ラフアウトはいつまで経っても大好きなまま。

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当然のようにインソールを入れて履いてます。
スペンコを。

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フォルムも素材感も美しい。
退廃感が漂う。

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元はレザーソールでしたが、1足目と同様にビブラムを貼りました。

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今はもう少し表情が変わっていますが、Today's Styleでそのうち。


[同質異像/異質同像]
guidiなどの諸ブランド群さえも結局は「アルチザン系」と称される「既定路線」「定型」の一部であることくらい当然分かっています。

完全に独創的に見えるスタイルだって類型の類型の類型くらいに位置するのは「衣服である」以上、当然の帰結だから。


20年くらい前、村上春樹の小説の中にこんな文章が載った広告が織り込まれていました。
目にしたことがある人もいると思います。


F・スコット・フィッツジェラルドは娘にあてた手紙の中にこう書いている。「もしあなたが人と違うことを書きたいと思ったら、他人と違う言葉をつかって書くことです」。初めて小説を書いたとき、僕はいつも頭の中でその文句をつぶやいていた。
またセロニアス・モンクはこう語っている、「ピアノの鍵盤をごらん。音は白鍵と黒鍵、全部ここに揃っている。それ以外にどこに新しい音がある?」。これも僕にとってはもうひとつの大事な忠告だ。
でも結局のところ、二人の言っているのは同じことなんだと、とやがて僕は考えるようになった。天才からものを学ぶのはなかなか大変だ。



ありきたりの服さえ組み合わせ方によっては確かにオリジナリティが生まれます。

でもそれと同時に、どんなに人と違う服を選んだところで、結局そこに生まれるオリジナリティなんて取るに足らないものだとも僕は思います。

たかがファッションです。

ですが、この諦観はひとつの再出発点となります。

着飾ること、ファッションに興味を持ち続けることがマイノリティへの参加の代替行為だなんて、それ自体が弱々しく痛々しい幻想であることなどとっくに分かっています。

けれど僕にとっては、されどファッションなのです。

















といいつつバックジップもホースも履いてみたい。


















このローレースもかっこいい・・・。



















カンガルーレザーのショートサイドゴア!



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[ 2014/10/13 00:00 ] | TB(0) | CM(2)

私、作ってるものは超既定路線ですが、その人生ははだいぶ外れてしまってますね
受験勉強(私の場合は高校受験で)していたころはこんなことに成るはずではなかったのですが・・・

Guidiは何となくほしいな~と思いながらも結局買わなかったのです。なんでだろう?
ミハラヤスヒロとちょっと違うけどMOTOとか買って満足してしまったのです。
後は体系か・・・
[ 2014/10/13 00:16 ] [ 編集 ]

Re: タイトルなし

tatenoさん

guidiは決して履きやすい靴ではないし、値段が高すぎるのであとはちょっと買う予定が立てられないです・・・・。
MOTOは僕も履いてみたいなと思っていたところです。
ぜひMOTOについても教えてください!
[ 2014/10/15 22:47 ] [ 編集 ]

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