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革に思う。

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靴好きは総じて革好きである気がします。

僕もその例に漏れません。
靴に限らず、服も革でできたものがとても好きです。

と言ってもマニアやコレクターではありません。
なりたくてもなれません。ただの革好き。


そしてなぜ革が好きかと聞かれても正直よく分かりません。

経年変化とか、自分だけの一着になるとか、そういう謳い文句はあまり好みません。
使っていく過程で、固かった革が馴染み、光沢を放ち、艶めいてくる、という変化にはいつもわくわくします。
ただ、それを声高にエイジングだの経年変化だの騒ぎたくないだけなのだと思います。
静かに、密やかにその時間を楽しみたいのです。



基本的には欠点だらけで、だいぶ身勝手な僕ではありますが、革製品を買う時や身につける時に、いつも願っていることがあります。
それは「かつてこの革がその一部をなしていた牛や馬や羊、鹿などの動物たちが、この革のためだけに殺されたのではありませんように」ということです。

この「革」が、食用に殺されている動物たちの「皮」から作られているものでありますように。




この世の動物は好むと好まざるとに関わらず、他の生物の命を奪い利用することでしか生きられません。
とりわけ人間は、動物、植物、菌類、ウイルスなど地球上のありとあらゆる生物の命を利用して生きています。

生命を維持するために他種を殺すことは半ば仕方のないことです。
自然の摂理です。

しかし、ファッションという観点からは、そのためだけに動物を殺すという行為はいささか心ないものだと感じざるを得ません。
革で身を包まなければ生死に関わるような状況には僕は生きてはいない。




僕は動物愛護主義者ではないし、ベジタリアンでもありません。
肉食を禁じられている宗教の信者でもありません。

でも無用な殺生はもちろん好みません。
捕鯨に反対する団体や、動物実験に反対する団体など、動物愛護を謳う人々の数は少なくありません。
でも、何事も一つの側面からしか物事を見られなくなると、それは危険ではないか、と思うのです。


動物保護を信条とする人々が例えベジタリアンであったとしても、彼らは植物の命を奪い、その生命を成立させている。市販の風邪薬でさえ、おそらく何らかの動物実験は行われている。
様々な物事に対して、想像力を働かせることを忘れてはいけないでしょう。
動物には尊厳があり、植物にはない、なんて想像力の欠如以外のなにものでもない、と僕は思います。




過去の記事でも時々書いていますが、やはり、洋服も出来れば生産者の顔が見える形を取って欲しいです。
革製品を身につけたい、という欲は押さえられませんし、それ以前に、毎日の食卓には豚やら牛やらの肉が並んでいます。
肉食を止める、という選択肢は僕の人生のオプションには(今のところ)ない。
それならばせめて、無駄な屠殺の上に成り立っていないものを持ちたい。

逆に言えば、どうせ肉食を是とするならば、その革を使うことは資源のきわめて有効な利用法だと言うこともできるかもしれません。
日本において鯨がそのすべてを有効利用されていたように。

そこにあるのが畏敬の念であろうが狂気であろうが、結局殺すことには変わらない、という視点に立てば、こんな理論はねじ曲がった行動を正当化するための、くだらないエゴなのかもしれませんが。




身勝手な僕の、身勝手な願いです。
すべての革が食肉用として殺された後の有効利用の一環としての革でありますように。


そして、今日着ていたライダースの原料だった羊が僕を呪いませんように
それから捕鯨について書いたからって、シーシェ◯ードに拉致されたりしませんように。
おやすみなさい。
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[ 2011/02/20 22:45 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

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