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今年も夏が終わっていく


フジファブリック / 若者のすべて

ひぐらしが鳴き始めて、夜が、始まる。

昼間の熱を含んだまま、傾いていく太陽が滲ませる橙色を生まれたばかりの夜の群青が浸食し始める。
昼と夜の境界線を見定めるのが難しくなる頃、とおくの山の稜線が淡い闇に浮かび上がる。


遠くで太鼓と笛の音が聞こえたような気がする。
もう街のお祭りが始まったみたいだ。

心躍るイベントはいつだって待ち遠しくて、それなのに始まって欲しくない。
一度始まってしまったお祭りは、終わる方向にしか進んでいかないからだ。
時計の針は後ろ向きには進まない。
担がれた神輿は降ろされなければならないし、打ち上げられた花火は消えなければいけない。

それでも僕らは賑やかさの中心に向かっていく。
言葉にならない切なさとか高揚感とか、それが何によって生み出されているのかを自分の目で耳で体で確かめなくてはならない。

原理的にひとは生まれた瞬間から死に向かっている。
それでも僕らは人を愛するし、何かを遺そうとさえする。
たぶんそれと似ている。

村上春樹は(ゲーテは)「世界の万物はメタファーだ」と言っている。
いつだって日常は人生の縮図だ。

僕たちはその中心に向かわないわけにはいかないのだ。


そして夜の闇が濃くなる頃、花火が上がる。
それは祭りの終わりを告げ、夏の終わりを示している。
それと同時にそれらでない何かの終わりも仄めかしている。

こうやって、ひとつの季節が過ぎていく。


かつての祭りがそうであったように、過去の魂を慰めながら。
慈しみ、弔いながら。
あるいは今この時を生きているぼくたちを鼓舞しながら。




夏の日が暮れていくとき、どうしてこんなにもさみしくて切なくて、それでいて胸が躍るのか僕にはわかりません。
豊かな生命力や、太陽の高さや、もっと単純に長い夏休みが一日ずつ確実に終わりに近づいていくことなんかが原因なのかもしれません。
はっきりと言葉にするが難しいから、歌をつくるひとたちは夏の終わりを歌にするのかもしれません。


4年前、FMから流れていたこの曲に、僕は心を乱されました。
淡々としたエイト・ビートに伸びやかなヴォーカル。
歌詞はもちろん夏のことを歌っているんだけど、その旋律には夏にとどまることない終わりゆく何かが刻まれているように思います。

僕にとって夏の夕暮れ、といえばこの曲を挙げないわけにはいきません。
















また今年も夏が終わりますよ、志村さん。

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[ 2011/08/17 22:58 ] 音楽 | TB(0) | CM(0)

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